昨年12月号掲載の「風の丘を越えて」の記事を読み、それは私が初めてみた韓国映画だった。その時の感動がまざまざと蘇り、そして思い出したのが「おばあちゃんの家」だった。
この映画を観終わったときの深い充足感をどう表現すればよいのだろうか!私たちの国にも確かにかつてはあった、いや今もどこかにはあるのかもしれない無償の愛。それが言葉ではなく映像で余すところなく追って来る。
愛というのも気恥ずかしいほどのおばあちゃんのただ純粋な温もり。それに心を開いていく孫の少年の姿が、スクリーンを通して自分の中に忍びこんでくるような映画だった。
少年が母のもとに帰らねばならなくなった夜、おばあちゃんを思って何本も針に糸を通している姿が忘れられない。
マザーテレサは「言葉が多すぎます」と言った。その思いがこの映画には溢れている。
映像のもつ力を余すところなく生かしている。その自然な一コマ一コマの表情、しぐさに共感している自分がいた。
こんな映画を日本でも製作して!と映画館を出るときに脳裏をかすめた。
少年の変化は大人が忘れてしまった、しかしきっと今も体のどこかに潜んでいる心を呼び戻すだろう。さもしさからも解き放たれて、温もりとともに、日差しも違って見えるかもしれない。
高石支部 東 摩耶子
2023.3.15 399号より